バレエってなんだろう?はじまり、歴史、深く関わった人について

この記事では、バレエについて、「はじまりの背景」「各国での発展の歴史」の視点から、バレエってなんだろう?という素朴な疑問を深掘りしていきます。

白鳥の湖、くるみ割り人形、バレエにあまり馴染みのない方もこのようなバレエ作品は知っているでしょうか? 言葉もなく、動きと音楽、ダンサーの表現で物語を伝えるバレエ。

始まりを知ることで、バレエに興味が湧いたり、今よりもっとバレエが好きになる人がいたら嬉しいです。では行ってみましょう!

目次

バレエってなに?改めて文章にしてみる

バレエは、音楽に合わせて体を使って物語を表現する特別なダンスのひとつ。身体の動きを通じて、感情やストーリーを伝える力を持っています。

優雅で美しい動き、華麗なジャンプ、回転や複雑なステップなどの技術面での感動はもちろん、それに加えダンサー自身から溢れ出す表現により、物語の情景や登場するキャラクターの情感を語り、観ている人に深い感動を与えます。

このように、単なる舞踏にとどまらず、観客を魅了する総合芸術としての側面を持っているのがバレエといえます。

このようなバレエのスタイルができる上がるまでには、さまざまな歴史的な背景、時代の人々が関わっています。次は始まりから発展の様子をみていきましょう。

バレエのはじまりは?

バレエが生まれた理由は、たくさんの人々が音楽やダンスを通じて楽しみたい、そして踊るだけではなく、感情を表現したいと願ったからでしょう。バレエはイタリアで生まれ、フランスで成長し、ロシアで完成したと言われています。始まりから順にバレエの歴史を追ってみましょう。

バレエのはじまりはイタリア

バレエの始まりは16世紀のイタリアまでさかのぼります。この時期、王様や貴族たちが集まって、特別な舞踏会を開くことが一般的でした。

舞踏会の様子:画像引用元

舞踏会では、豪華な衣装を身にまとい、友人や家族と一緒に楽しい時間を過ごし、魅力的な音楽に合わせて踊ることを心から楽しんでいました。特にルネサンス期には、舞踏が重要な社交の一部として位置づけられ、舞踏は単なる楽しみではなく、貴族たちの教養を示す手段ともなりました。

諸説ありますが、舞踏が発展していく中、音楽とダンスを融合させた新しいパフォーマンスを求めるようになり、そこで誕生したのがバレエの原型である「バレッタ」という踊りです。

「バレッタ」は、優雅な動きや美しい音楽に合わせて踊るスタイルで、当時の貴族たちの間で非常に人気がありました。

この「バレッタ」には、後にバレエに発展するための重要な要素が多く含まれていました。例えば、表現力豊かな動きや、優雅な姿勢、そして舞台上での物語性などがその一部です。人々は、単に身体を動かすだけでなく、物語を表現したり、感情を伝えたりすることにも深い興味を抱くようになり、バレエはこの頃から少しずつ形を作っていったのです。

その後、バレエはフランスやロシアに広がり、各国で独自のスタイルが形成されて発展していきます。

イタリアからフランスへ 〜カトリーヌ・ド・メディシスの影響〜

16世紀のイタリアは多くの小国や都市国家が分裂しており、不安定な情勢でした。一方フランスにとってはイタリアが重要な交易路であり、両国で経済的な同盟が求められました。

そのような背景のもと、イタリアのフィレンツェで力をもっていたメディチ家は、フランス王室との婚姻を通じて政治的な結びつきを強化しました。その中でも1533年、メディチ家の娘、カトリーヌ・ド・メディシスとフランス王アンリ2世との結婚は、メディチ家とフランス王室の同盟を象徴するもので、両国の関係をより強化しました。

フランソワ公アンリとカトリーヌの結婚式

カトリーヌは芸術と文化の熱心な支援者でもあり、宮廷でのバレエや演劇、音楽を奨励していたこともあり、結婚と同時にイタリアの文化をフランスに持ち込み、特にフランスでのバレエの発展に寄与しました。このように、カトリーヌがフランス王室に嫁いだことで、フランスの政治・文化に大きな影響を与え、同時にバレエも発展していきました。

フランスでのバレエの発展とルイ14世

バレエの文化がフランスに持ち込まれた後、17世紀になると特にルイ14世がバレエの振興に大きく貢献していきます。

引用元へ

宮廷文化の重要性

17世紀のフランスでは、宮廷文化が非常に発展しており、特にバレエは貴族たちの間で大人気でした。バレエはただの娯楽ではなく、政治的な意味合いも持っていました。王族や貴族が踊ることで、自らの地位や権力を示す手段となったのです。

フランス初のバレエ公演「バレ・デ・フラワーズ」

彼はバレエを愛するだけでなく、バレエの普及と発展にも力を入れました。1581年にはフランス初のバレエ公演「バレ・デ・フラワーズ」が開催されます。この公演は、王室の後援を受けた最初の大規模なバレエ公演のひとつとされています。バレ・デ・フラワーズは、音楽、舞踏、詩が見事に融合した作品でした。音楽は、当時の流行に合わせた華やかな旋律が使用され、ダンサーたちの動きと調和しました。詩は、物語やテーマを表現するために重要な役割を果たし、観客に感情や情景を伝える手段となりました。このように、異なる芸術形式が一つのパフォーマンスに集約されることで、バレエは単なるダンスを超えた総合芸術としての地位を確立しました。貴族たちが自ら参加し、舞台芸術としてのバレエを確立する重要な一歩となりました。この公演は、後のバレエの発展に大きな影響を与え、バレエがただの社交ダンスから、感情や物語を表現する総合芸術へと進化するきっかけとなったのです。

ルイ14世 自らの演技

ルイ14世は、1661年に自身が出演したバレエ「バレエ・デ・ラ・ナシオン」の中で、太陽神アポロの役を演じました。この役は、彼自身を象徴するものであり、彼の王としての地位を強調しました。この公演は大成功を収め、彼は自らのダンスの才能と舞台での存在感を実感したことで、さらにバレエに魅了されました。

バレエ普及への貢献

ルイ14世は、バレエを宮廷の重要な行事の一部とし、多くの公演を開催しました。また、1661年アカデミー・ロワイヤル・ド・ダンス(世界で最初の公式バレエ学校。現在のパリ・オペラ座 バレエ団)を設立し、バレエの技術を正式に教育する場を提供しました。

このように、ルイ14世の時代には、バレエは王宮の重要なエンターテイメントの一部となり、さまざまな作品が上演されました。特に、彼が主役を務めた「太陽王」としてのパフォーマンスは、バレエのスタイルや表現に大きな影響を与えました。この時期のフランスでは、バレエが貴族の文化として定着し、後のバレエの発展に大きな影響を与えることとなります。

フランスからロシアへ〜エカテリーナ2世の影響〜

フランスで育ったバレエは、その後フランス文化を愛するエカテリーナ2世によりロシアで盛大に成長していきます。ここでは、ロシアでのバレエの発展におけるエカテリーナ2世の影響をみていきましょう。

エカテリーナ2世:引用元

エカテリーナ2世は1762年から1796年までロシアの女帝として君臨しました。彼女はとても賢い女性で、ロシアを強く、そして文化的にも豊かな国にするために努力しました。

フランス文化の導入

エカテリーナ2世は、フランスの文化を非常に重視しました。彼女はフランスのバレエや舞台芸術に強い関心を持ち、フランスから多くの振り付け師やダンサーをロシアに招きました。その中でも特に有名なのが、ジャン=バティスト・リヴァリです。彼は1760年代にロシアに来て、バレエの振り付けを行い、エカテリーナの宮廷で多くの作品を創作しました。彼女は、バレエが国家の文化において重要な役割を果たすべきであると深く認識していました。これにより、ロシアにおけるバレエの地位は一層高まり、さらなる発展の基盤が築かれいきます。

バレエ団の設立

エカテリーナ2世は、ロシアにおけるバレエ団の設立を強力に推進しました。彼女は、1762年サンクトペテルブルクに「ロシア帝国バレエ団(後継機関は現在のマリインスキーバレエ団」を設立し、バレエ公演が定期的に行われるようになり、広く一般に親しまれる存在となりました。このような公演は、ロシアの文化的アイデンティティを強化し、社会の重要な一部となりました。エカテリーナの時代には、バレエは単なる舞台芸術に留まらず、国民の誇りともなったといえます。

ロシア帝国バレエ団の活動の中でも特に重要な人物は以下の通りです。

  • ジャン=バティスト・リヴァリ: フランスから招かれた振り付け師で、初期のバレエ団の発展に寄与しました。彼の振り付けは、エレガントで華やかで、ロシアにおけるバレエのスタイルを確立するのに貢献しました。
  • マリウス・プティパ: 19世紀に活躍した振り付け師で、特に「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」などの名作を振り付けました。プティパのスタイルは、ドラマティックな表現と技術的な美しさを兼ね備えており、ロシアのバレエの黄金時代を築く基盤となりました。
  • ピョートル・チャイコフスキー: 作曲家で、プティパとのコラボレーションにより、バレエ作品の音楽を担当しました。彼の音楽は、ロシアバレエの特徴を強化し、作品に感情を与える重要な要素となりました。

また、ロシア帝国バレエ団は、数多くの名作を生み出しました。以下はその一部です。

  • 「白鳥の湖」: プティパが振り付け、チャイコフスキーが音楽を担当した作品で、悲しい恋の物語が美しい踊りで表現されています。特に「白鳥の湖」は、バレエの中でも最も有名な作品の一つです。
  • 「眠れる森の美女」: プティパによる振り付けで、チャイコフスキーの音楽が使われています。この作品は、王子と美女の運命的な出会いを描いたファンタジーで、華やかな舞台装置や衣装が特徴です。
  • 「くるみ割り人形」: クリスマスの物語をテーマにした作品で、子供から大人まで幅広い層に愛されています。チャイコフスキーの音楽は非常に人気があり、特に「花のワルツ」や「行進曲」が有名です。
バレエの教育と振興

エカテリーナ2世は、バレエの教育にも力を入れました。彼女は、バレエダンサーの教育を行う学校を設立し、若い才能を育成することに貢献しました。特に、彼女が設立した「サンクトペテルブルクの舞踏学校(後継機関は現在のワガノワ・バレエアカデミー)」は、多くの優れたダンサーを輩出しました。この学校では、バレエの技術だけでなく、演技や音楽の教育も行われ、トータルな芸術家を育てる場となりました。エカテリーナ2世の支援で、学校は多くの優秀なダンサーを育て上げ、ロシアのバレエ界を支える基盤となりました。

バレエの国際的な地位の向上

ロシア帝国バレエ団は、19世紀に入ると国際的にも注目されるようになり、様々な国で公演を行いました。特に、アメリカやヨーロッパ各地での公演は、ロシアのバレエの名声をさらに高める要因となりました。彼らの技術や表現力は、多くの国のダンサーたちに影響を与え、バレエのスタイルに新たな風を吹き込みました。

このように、エカテリーナ2世は、フランスからの文化の導入、バレエ団の設立、教育の振興、国際的な地位の向上など、多方面からロシアのバレエに影響を与えました。彼女の熱意と支援があったからこそ、今日のロシアのバレエは世界的に有名で、優れた芸術として評価されるようになったといえますね。

バレエの起源を辿ると、ただのダンスのひとつではなく、当時の社会や文化の反映した多様な表現方法を持つようになり、現在のような豊かな芸術表現を確立する基盤を築いてきたことがわかりますね。今や世界中で愛される芸術形式となり、その魅力は時代を超えて多くの人々に影響を与えている背景がよくわかります。

このようにバレエはイタリアで始まり、その後フランス、ロシアを経て、世界中に広まっていきました。各時代ごとにスタイルや技術が変化し、特に19世紀にはロマンティック・バレエが流行しました。20世紀に入ると、現代バレエとして新しいスタイルや振付が生まれ、バレエの表現の幅が広がりました。

以下に、年表形式でバレエの発展・スタイルの確立において主要な出来事を記載しておきます。

バレエ年表:重要な出来事

1581年 – バレ・デ・フラワーズ

フランスで初のバレエ公演が行われた「バレ・デ・フラワーズ」。これは、フランス王ルイ14世の支援のもと、貴族たちが参加した華やかな舞踏会であり、バレエが舞台芸術として認識されるきっかけとなりました。この公演は、音楽、舞踏、詩が融合したもので、バレエのスタイルを確立する重要な一歩でした。

1661年 – ルイ14世がバレエ学校を設立

ルイ14世はバレエの振興に大きな影響を与え、1661年にパリに「アカデミー・ロワイヤル・ド・ダンス」を設立しました。この学校は、バレエの教育を体系化し、プロのダンサーを育成する基盤となりました。これにより、バレエはより専門的な技術を持つダンサーによって演じられるようになり、舞台芸術としての地位を確立しました。

1700年代 – バロック・バレエの発展

18世紀初頭、バロック時代の影響を受けたバレエが発展しました。この時期、振付師たちはより複雑な動きやストーリー性を持つ作品を作り出しました。特に、フランスの振付師、ダンサー、理論家であるジャン=ジョルジュ・ノヴェールは、バレエの表現を進化させ、ダンスと演劇を融合させた「バレエ・ド・コリーヌ」を提唱しました。

1830年代 – ロマンティック・バレエの時代

19世紀に入り、ロマンティック・バレエが流行します。このスタイルは、幻想的な物語や神秘的なテーマが特徴で夢や幻想、愛の物語を表現することが多く、非常に美しくて感情豊かな作品がたくさん作られました。特に「ジゼル」や「白鳥の湖」などが有名です。ロマンティック・バレエでは、女性ダンサーの役割が重視され、バレエシューズやチュチュが登場しました。

1892年 – 「くるみ割り人形」の初演

チャイコフスキー作曲の「くるみ割り人形」が、ロシアのマリインスキー劇場で初演されました。この作品は、後にクリスマスの定番として親しまれるようになり、バレエの重要なレパートリーとなりました。チャイコフスキーの音楽は、バレエの表現を一層豊かにしました。

1909年 – バレエ・リュスの創立

ロシアの振付師セルゲイ・ディアギレフ「バレエ・リュス」を設立しました。このバレエ団は、ヨーロッパでのバレエの再評価を促進し、現代バレエのスタイルや技術に大きな影響を与えました。特に、ディアギレフは新しい振付師や作曲家と協力し、バレエに革新をもたらしました。

1920年代 – 現代バレエの発展

20世紀初頭から中頃にかけて、現代バレエが発展しました。特に、ジョージ・バランシンやマーサ・グレアムなどの振付師が新しいスタイルを確立し、バレエの表現力が多様化しました。この時代には、身体の動きや音楽の解釈が自由に探求され、バレエはより個性的な芸術形式となりました。

1980年代 – バレエの国際化

この時期、バレエは国際的な舞台での活動が活発化し、多くの国で独自のバレエ団が誕生しました。特に、日本やアジア諸国でもバレエが広まり、多くのダンサーが国際的な舞台で活躍するようになりました。バレエの技術や表現が国境を越えて共有されるようになり、グローバルな芸術形式としての地位を確立しました。

重要な発展の流れを大まかに記載してみましたが、このスタイルの発展については、また別の記事で深掘りしていきたいと思います。


いかがでしたでしょうか?バレエは、はるか昔の人々が音楽とダンスを楽しみ、それだけではなく、物語や感情を伝え、共有したいという深い気持ちから生まれた特別な芸術形式であるとうことがわかりましたね。

人々の根底にある思いは、現代に生きる私たちと何ら変わらないことがわかります。バレエを愛する人たちは、伝える手段が「バレエ」であり、いつの時代もバレエを通じて、他者とつながり、感動を共有することができたのですね。

多くの皆さんと、バレエを通して喜びや感動を共有できたら私も幸せです。

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この記事を書いた人

三度のご飯よりバレエが大好きなバレエ専門のフォトグラファー
自身でバレエも習い、どっぷりバレエ漬け。
このサイトでは、私ならではの関わりの視点でバレエ情報を楽しく発信していきます。

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